2009年度 当時25歳

4月
デフリンピックに向けて体力トレーニング。現時点では日本代表候補。

4月下旬〜5月上旬(約8日間)

メグ、ウチ、ミスン3人で海外4回目の韓国へ旅する。後半にアニキと合流。そんな中、韓国は鳥インフルエンザが流行しており、渡航自粛の勧告されてしまう心配があったが、今の所では問題なく渡航できた。

1日目〜4日目
ソウル市街、西門刑務所、明洞、手話カフェ、北朝鮮の国境線の展望、色々観光した後に釜山へ移動。そんな中でたまたま、韓国の労働デモに遭遇してしまう。危機に遭う事はなく無事に済んだ。何よりもデモの様子を見物できて面白かった。

4−6日目
釜山、ヘウンデ、世界会議?、韓国本土最南端の太宗台?、デパートでビビンバ。その後、ソウルに戻って日本へ帰国。

特に韓国本土最南端の太宗台は実にいい記念になった。3年前(当時22歳)、タケシ、マサカ、ウチ3人で10月三連休に対馬、五島列島の旅に行ってきたときにレンタカーで日本最北西端の対馬棹尾崎に到達し、望遠鏡で韓国の釜山を一望する事ができた。今度は反対側で対馬を一望してみたいと思ってから3年後、ついにこの馬で実現したのだ。次は与那国島で見た台湾を今度は反対側で見たいと思ったうちである。

6月
25歳の誕生日となり、ついに20代後半に突入。

7月
中学1年以来、12年振りにバドミントン選手として関東ろう大会に出場。そして見事にストレート負け、全敗となって一次リーグ敗退して姿を消すことに・・・。中学1年の時に1年しかバドをしてこなかったが、技術はかなり伸びていて成長の余地があったので、もしバドを続けていればどこまで伸びていったかの自分像に気になっていた事もあって少し未練があった。が、今回の大会を参加してみてやっぱりバドミントンは向いてなかったなと改めて思ったうちであった。

8月
前半は岐阜でSコーチの家に泊り込んでモアイさんとウチ、Sコーチ3人でトレーニング。トレーニングプログラムは朝は山登り、山の坂ダッシュ、午後はフットワーク、5kmランニング、夜はプールトレーニング。
最終日の前日の夜のミーティングの時に「2011年デフリンピックを最後に現役引退します。」とカミングアウトする。

後半 沖縄・慶良間諸島の旅。
3日間の合宿が終了し、身体の疲れを癒す為にマサカ、キタデ、ウチ3人で通算4回目の沖縄へいく。

もちろん、沖縄一周したのも通算3回目。一周後に慶良間諸島・座間味島へフェリーで移動。
座間味島は前から興味津々だった。実際に海へ行ってみると、南西諸島よりも慶良間諸島の方がめっちゃブルーでこんなにキレイで濃いと言っていい位、蒼く澄んだ海は初めてみた。しかも浅瀬に熱帯魚、タコまで沢山いて泳ぐのが実に楽しかった。宮古島の吉野海岸、新城海岸よりもスバ抜けている。

が、陸ではさすがに何もない・・・・。島にある信号は一箇所だけで、わずか30分で島一周してしまう位実に小さかった。でも夕日はとても美しく、夜の星空はとてもキレイだった。夜になると道路にヤドカリがゆっくりと横切る。こんな光景がみられるのも慶良間諸島の醍醐味だろう。
夜はさすがに暇なので、3人でウノやトランプゲームをした。というか、トランプゲームしたのは高校以来で実に7年振りで懐かしかった。

9月
福島で開催される夏季全国ろう大会に参加。ついでに4年振りにメグと一緒に福島を観光。
バドミントンで二部に参戦したが、シングル戦はあっけなく大敗し、あっという間に姿を消すことに。

10月
冬シーズンに向けて体力トレーニング。
いつだったかは忘れたけど、脚用の加圧ベルト6万で購入した高価な代物が何故か健康保健センターで片方だけ盗まれてしまった・・・。仕方なく片方だけ交互に使ってトレーニングしたのである・・・。

11月
珍しくも11月は初滑りゼロ。

ヨーロッパデフカップへ単独参戦を検討する。

12月
12月初旬に志賀高原でやっと初滑り。
正月休みは朝里温泉でスキー合宿。共に代表選考合宿でもある。合宿後、地元の同級生と呑み合う。残りの休日は実家でゴロゴロ、たまにはパチンコ、ラーメン巡りに札幌へ行ったり・・・。

1月
ヨーロッパデフカップの件、スキー協会の判断で単独参戦は認められないという形で決定され、海外遠征は白紙に。
関東大会は初めてホワイトバレースキー場で開催されたが、ジェットスターに近い超難易度のコースで前代未門の競技を行うことに。結果、半分が転倒による棄権続出、ウチもスタートでわずか旗門3箇所たらずで棄権してしまう・・・。

東京デフ杯はモアイとウチワン、ツーフィッシュで日本代表候補に相応しい決着。モアイは1位、ウチは2位。タイムはコンマ数秒でしたが・・。

2月
北海道で全国ろう大会が開催される。最終日本代表選考でもあり、ウチにとって人生3回目のデフリンピック挑戦。そしてスキー人生最後のラストレース。
過去を振り返ってみると、

挑戦1回目
高校2年代表選考は山形で、不運にも高熱、下痢により体調を崩してしまい、実力を発揮できないまま上位へ行けず、落選。

挑戦2回目
22歳。選考は岩手で、予想外の大雨が降り、ウチが苦手するベタ雪でなかなか攻められず、熟練ベテランよりも経験の浅い選手が優勝、上位独占してしまうという波乱が起きてしまった。
回転戦、ゴール前でポールに引っ掛かって転倒による棄権に遭ってしまう・・・。

こうして実力を発揮できないまま不完全燃焼で終わってしまったので、今回は悔いのないようにスキー人生の集大成に、このレースに全力を出し尽くすつもりで挑んだ。

スキー人生14年分の記憶を走馬灯のごとく思い出し、心の中で支えてくれた皆にありがとう。と言ってスタートする。

結果
大回転・・・2位
回転・・・・7位(転倒によりタイムロス)

優勝できないまま敗北を喫し、ラストレースに有終の美を飾る事ができないまま終わった。
一位の選手が青森で10代の選手であり、これでモアイ、清水、ウチらの時代はこれで終わりに、次世代の若者選手への新旧交代がやってきたようである。
北海道でのラストレースに地元の幼なじみのダイキとケンタが応援しに来てくれたのが本当に嬉しかった。やっぱり一生の友を大事にするべきなんだなと改めて実感した。


3月
父にデフリンピック落選したらアルペンスキーを引退すると告げる。
父は「勿体無い、次のデフリンピックを目指してスキーを続けたらいい。」と反対されるが、ウチはこれ以上スキーを続ける気なんで無いし、スキー好きじゃないウチが父の為に世界へ行くのを目標にして14年頑張ってきたんだから、充分過ぎる程親孝行してきたからもういいだろう。確かに言えるのはスキーを好きになるように自分自身に言い聞かせてきたけど、やっぱり無理だった。そんなウチがデフリンピックを目指す以外はただの苦痛でしかなかった。もういい加減に素直になろう。と思い、父に「14年間、父の為に親孝行してきたんだ。だから、これからは自分の好きなように生きていくよ。ごめん。」とキッパリ言ってやったのである・・・。




記録
訪問した県(あと11県)
ゼロ
海外韓国本土最南端太宗台に到達。
中学1年以来、12年振りにバドミントン大会での公式戦出場。が、全敗。
6万で購入した加圧ベルト、片方だけ盗まれる。
今年の1年は体力作り一番頑張った時期だった。週5回8kmランニング、ウエイトトレーニング・・・。

・今回の全国ろう大会がアルペンの現役ラストレース。