2005年度 DIARIES (当時 21歳)

1月 

正月休みは1年振りに北海道の北見で正月合宿に参加。事実上、アルペンスキー界に現役復帰する。

 

復帰の理由は二つ。


一つ目・・・スキーの厳しさ、自分の限界に感じたオレは高3の高体連を最後に引退した。

 

あれから1年間、ずーっと遊びまくったが、心がポッカリと穴が空いてしまったような気分で、いくら遊んでも自分自身の心が満たされることはなかった。いつも残るのは虚しさだけ。

 

「スキーの未練が残っているんじゃ?」と自分自身に問いつめたりしていたのだ。


2つ目は・・・不純な動機だが、2005年の冬に群馬県で全国ろう大会が開催されるからだ。スキー復帰に合わせて群馬で舞台に立つ事でオレに注目を浴びるチャンス?だと思っていたからだ。


1月下旬


長野県で初めて日本最高峰の八方尾根スーパーG大会に参戦。

 

目の前に広がる雄大なパノラマ風景と、圧倒的なスピードを誇るオリンピックコース両方ともオレを楽しませてくれる。


レース結果は、スーパーGは初めてのレースだった為、2回棄権、1回完走するのも100位といった成績で終わってしまった。(吹雪による視界不良に遭い、滑走中に止めてしまった為タイムロスに。)

2月
アルペンスキー選手として2年振りに群馬県での冬季全国ろう大会に参戦。

 

2年のブランクがあった為、結果はスーパー大回転4位、大回転途中棄権、回転3位。

 

スキーの成績はイマイチだったが、上毛新聞のトップ記事にオレの滑りの写真を大きく飾ってしまい、オレの名を群馬各地に一気に知れ渡ってしまった。

3月


スキーシーズンが終了し、脱サラ計画・夏のラスベガスに向けて競馬で資金調達開始。当時は貯金80万円位あった。

あいにくもパソコンを持っていなかった為、時々、インターネットカフェに通いながらラスベガス情報収集、カジノ攻略法研究、オンラインカジノで実践したりしていた。

 


4月

 
大きな誤算、予想外の人生最悪の出来事&九死に一生を得た忘れがたい大悲劇が起きてしまう。

オレの二つ下後輩・マサカ(仮名)が3月27日に群馬へ上京してきた。

 

歓迎会としてオレ、同僚のサク(仮名)、ナカムラ(仮名)、マサカと一緒にイオンへ。そしてイオン内で談笑した後の帰りに悲劇がおきた。

 


「じゃあ寮に戻るか。」 

 


オレのバイクにマサカを乗せて寮へ帰路中に時速84kmキープしたままゆるいカーブの道を曲がって直進道路へ進入しようとした瞬間、

 

向かいから走行してきた対向車はウチのバイクが来ているのを気にせずにまさかの右折。


対向車が右へ右折し始めたのを気付いた時点でもうすでにバイクと対向車の距離は50mしかなかった。

 

今ブレーキを踏んでも間に合わないと悟ったオレは、

 


「あ・・・・」

 


時速84kmのスピードをキープしたままノーブレーキで右折中の対向車に突っ込み、激しく接触。


対向車とオレが接触する瞬間、スローモーションごとくに見えた。が、走馬灯は見れなかった。

「ああ、オレ死ぬんだ・・・・」

どっかーん!!!!!

対向車と接触した反動でオレは宙を舞うかのように容赦なくぶっ飛び、空中に一回前転宙返りして対向車を越える。一瞬だけ街が逆さまになっているのを見えた。

「・ ・・・・・」

そして、落下してきたオレは思いっきり地面に叩きつけられる。

 

が、

 

幸いにもノーブレーキで時速84kmのスピードを落とさないまま対向車に突っ込んでいた為、地面に叩き付けられた衝撃はスピードと相殺して分散され、痛みすら感じることはなく奇跡的に脊椎損傷ゼロで済んだ。

 

気が付いたら道路の上で大の文字で仰向けになっていて、一時だけ夜空の星を眺めていた自分がいた。

 


「・・・・・・!!!オ、オレは生きている・・・? はっ!!マサカはどうした??」


オレの身体よりマサカを心配してすぐ起き上がってマサカのところへ行く。

 


オレ「大丈夫かー!??」

マサカ「ああ・・・大丈夫だ・・まぶたの上に血が・・・」

 

なんと、マサカも奇跡的に打撲のみ軽傷で済んだという。


被害者マサカの体験はこう語る。
 
タカシの後ろに搭乗していたマサカが異変に気付いたのは、もうすでに相手の車とぶつかる寸前で、

 

「あれ?」

 

車とバイク接触した瞬間、マサカの頭と肩は対向車のサイドの窓側に激しく接触して見事に窓が壊れ、マサカは対向車と接触した反動で横へ大きくぶっ飛んでゆく。

 

吹っ飛ばされたマサカは、一瞬、オレがゆっくりと宙に舞っていくかのように飛んでいく姿をスローモーションのごとく見えたという。

事故発生して30分後、突然、左手薬指に激痛が走り、悶絶したオレは人生初めて救急車に運ばれる事になった。

 

診断結果、搭乗していた新入社員・マサカは打撲とスリ傷のみ、オレは左手薬指骨折である事を判明。

 

特にヤブ医者が骨折しているオレの左手薬指を容赦なく引っ張ったり、曲げたり縮めたりして来たので、オレは激痛が何度も走り、悲鳴をあげまくった。「何しやがるんだ、てめえこのやろう!!!」とヤブ医者にぶん殴ってやりたいくらい痛かった。

 


今思えば、車イス生活になってもいいほどの重傷か、死んでもおかしくないくらい大事故に遭ったというのに、奇跡的に軽傷で済んだのだ・・・・。マサカもそうである。いや、高校時代に部活で鍛えられた身体のおかげなのかもしれない。もし、帰宅部でへなちょこのマサカだったら、間違いなく数箇所粉砕骨折していただろう。

 

 

またも神に命を助けられてしまった。19歳の時に2回事故って以来、今回も3回目の事故で3回も九死に一生を得てしまった。

 

 

ギャンブルばっかりで何の取り柄もないオレが命を助けられてよかったのか?自分でもよくわからないけど、とりあえず神様に感謝した。

 

事故発生して3日後、マサカは肩に包帯をまいたまま入社式をむかえたのである・・・。

 

 

今回のバイク大事故をきっかけに、自分の中になにかがを変わり始める。


5月 

 

会社に半休を取りながら午後いちに病院に通う日々。そして人生初の手術を受ける・・・・。

 

しかも起きたままで。骨に針金を入れた時は流石に痛かった。電動ノコギリによって骨を切られている感触がはっきり伝わってきて、「オレは本当に切られているんだ」と一生忘れる事はない激しい痛みがオレに襲ってきた。

「ぐがあああーーー!!!!」


泣きそうになった。大きな悲鳴をあげまくる。


手術開始して40分後、2本の針金を薬指の骨の中にクロスした格好で埋めていた。が、針金一部だけは皮膚を突き破ったかのような格好ではみ出している・・・。

「なんだこりゃ!!」動揺は隠せなかった・・・。


事故を起こしてしまったせいで手術費用と修理費用が吹っ飛んでしまい、遊ぶ金は残っていなかった。おかげで、せっかくの楽しいGWが台無し・・・。

 

食生活はほぼ一週間カップめんだけで生活した。群馬のダチから飲みに誘われて参加したりした位で、他に何もすることは全くなかった。


6月 

 

競馬の予想はずれっぱなしが相変わらず続く。
こうして損失が膨らんでいく。

6月下旬
 包帯を解き、ベンチで薬指からはみ出している針金を思いっきり抜かされて悲鳴をあげてしまうが、やっと指を完治する。が、薬指は奇怪な形になっていた・・・・指の方向がずれているし・・。整合ミスかよ!ウチの担当医は若者で研修医っぽい。

 

どうやら腕が未熟のせいで手術失敗したのだろう。

 

元の位置に戻してもらうよう訴えてやろうかと思ったけど、今のところ生活に支障をきたしていないので、訴えるのをやめた。


7月上旬


中学と高校以来、久し振りのサッカーでマサカと一緒に群馬チームとして千葉県で開催される関東ろう大会に参加するのも、大敗で予選落ち・・・。(当時はオレはGKとして参戦)

 

中学、高校時代に組んでいたクラスメートのアオキとマツモト、先輩のヒワタリが、今は茨城のアオキとマツモト、埼玉のヒワタリ・・・敵同士として久しぶりに再会を果たした。
アオキ・マツモトとヒワタリと一戦を交わった時、たまに走馬灯の如く中学時代のサッカー練習を思い出してしまう。


「ああっ・・・・この感触だ、思い出した・・・。なんだか懐かしい。」


脳裏に過去の記憶が甦ってきてすっごい懐かしく感じた。
結果は全敗だったが、すっかり忘れかけていた中学時代の記憶を思い出せたので、別の意味でサッカーは楽しかった。


7月下旬


競馬でのGI宝塚記念で大勝負する為に、タケシ(仮名)に無理矢理お願いしてなんと40万円を借金した。

 

去年宝塚記念を制した逃げ馬タップダンスシチーは堅いと見たオレは、そのチャンスを見逃さないよう単勝40万賭けると人生最大の大勝負に出たのである。

 

何故、そこまでするかというと、ラスベガス資金が足りないからだ。もし、当れば120万となり、資金調達に間に合う見込みになるからだ。

 

実際に高崎競馬場へ行き、モニターでタップダンスシチーのコンディションを見るが、なんだかいやな予感がした。なんだかわからないけど、急に不安が募ってきたオレは、単勝40万賭ける自信がなくなり、気が付けば単勝23万の中途半端な馬券を購入していた。中途半端な馬券を購入してしまったオレは、「何で馬券を購入してしまったんだ・・・」と自分を責めてしまう。下らない事を考えているうちに競走スタートが始まった。


「た、頼む・・・勝ってくれ!!もうすでに賽は投げられたんだ!」


オレの願いが通じたのか、タップダンスシチーはトップに立ち、独走し始めた。

 

オレは「うおおおっーーー!!」と歓喜をあげる。

 


が、それも束の間。

 


後半過ぎに突然、タップダンスシチーはズルズル後退し始め、馬群に呑まれてあっけなく撃沈・・・。


「た、タップぅうううーーー!!!」


オレは唖然。


こうして見事に外れ、23万円の馬券が紙くずに・・。

 

またもラスベガス資金調達失敗し、財産がどんどん減っていく羽目に。

 


8月 

 

ラスベガス計画実行日の2週間前に問題が発生した。

 

会社内でお盆での旅行計画書を海外旅行と記入して提出したら、課長と係長と班長三人そろってオレを会議室に呼び出され、「ダチと二人で行くのかね?アメリカは治安が不安だから聾者が行くのは危険だから認めん。まだ若いし。。銃に撃たれるかもしんないぞ。」とわけのわからない偏見を持った差別的発言で海外旅行を却下されてしまう。

 

個人じゃなくツアーで行くと説明したが、それでも駄目だという。しかも、上司から「4月にバイク事故を起こしているんだから、8月は海外旅行禁止、自宅で大人しく自粛してください」と言われる。

 

「何言ってるんですか?!俺は4月にバイク事故を起こした反省として5月連休はどこにも行かず寮で大人しくしていましたよ?

 

それでも関係なく8月も大人しくしろだって?

 

納得いかない!

 

そもそも、俺は2年前からダチと一緒にラスベガスへ行くと約束していたんですよ!」

 

と激しく反発するが、3トップの上司達は聞く耳を持たないまま却下されてしまった・・・。

 

 

すると、職場の先輩から「お盆の計画書は真面目に書かなくていいぞ。皆は帰省を書いて提出しているが実際はどっかへ旅行へ行っている人が多いんだよ。会社はうるさいから、適当に「帰省」と書いてすまちゃえばいーのよ」

 

「なるほど!」

 

先輩からアトバイスを頂き、旅行計画書に「帰省」と記入して上司に提出した。

 

 

8月ーラスベガス発まで一週間前―

 

会社にバレないように水面下で密かにホテル予約、ラスベガス行きの航空券の手続きを済ませ、荷物の準備をしていて順調に進んでいた。

 

 

ところが、ラスベガスに発つ一週間前にある問題が発覚してしまう。

 

 

本屋で何気なくラスベガス観光案内の本を読んでいたら、なんと「ラスベガスのカジノでは21歳未満はギャンブル禁止です」とルールブックに載っており、タケシ(仮名)はまだ20歳であるのを気が付く。

 

「はっ?俺は6月生まれだから21歳で、タケシは○月生まれ・・・という事は、まだ20歳?!何てこった・・・!!」

 

 

色々な試練を乗り越えてここまで来たというのに、年齢制限の理由で計画を中止にするわけはいかないと思ったタケシは、なんとパスポートのコピー紙で誕生日を偽造。

 

タケシはラスベガスに対する執念は凄い。

 

オレは21歳だから問題ないけど、もしタケシが偽造にばれたら、日本へ強制送還となるだろう。そうなると、会社にバレてオレと揃って懲戒免職に追い込まれちゃうだろうな・・・。

 

 

こうしてタケシとオレは解雇を覚悟してラスベガスの一獲千金を挑む事になった。

 

 

8月7日

 

ついにラスベガス一獲千金計画を実行する日が来た。

 

AM2:00過ぎ頃に寮監は留守かをを確認して密かに荷物を運んで車のトランクに積み込む。まるで脱獄しているみたいだ。
AM7:00
―何もなかったように帰省するのを見せかけて成田空港へ直行。搭乗手続きを済ませて無事に飛行機に乗って日本を発つ。


本当に長かった・・・・。

タケシと一緒に一獲千金を目指してラスベガスへ行くと決心してから、2年に経ってついにこの日が来たんだ・・・。

そう・・・。

 


もうすでに賽は投げられたんだ。

もう引き返せない。

自分を信じて未来を賭けて突き進むしかない。。。

と心の中でつぶやぎながら車窓で大空を眺めたオレであった・・・・。

 

8月お盆連休前半

 

人生初めての海外、アメリカ合衆国―ラスベガスへ。

 

タケシとオレ「ついに来たんだな、ギャンブル聖地・ラスベガスに。」

 

人生初めての異国の地に踏んだ2人は思わず感動してしまった。移動時間に疲れていたタケシとオレはホテルに着いてすぐ爆睡。しばらくして時間が経った後に起きると、隣のベッドにタケシの姿はなかった。

 

 

あれ?ダチはどこへ行ったん??もしかして・・・!?

 

 

当ホテルのカジノに行ってみたら、なんとタケシ1人で12時間近くもスロットマシンを打っていたのだ。

 

「12時間も?!」オレは驚愕するが、タケシは大したことがないという表情だった。

 

タケシは人生初めてのカジノに興奮したのか、脳内にドーパミンが大量放出しているみたいで24時間打っても平気だという。

 

 

オレは初日からカジノ勝負をせず、3日間ラスベガス観光と各ホテルのカジノ偵察、ルーレット戦略を練っていた。

 

3日目の朝、起床したらまたも隣のベッドにダチの姿がない・・・・・。

 

当ホテルのカジノへ行ってみるとやっぱりダチがいた

 

ダチはこれで三日連続徹夜してスロットマシンを打っている。すっげータフ過ぎで驚くオレ。一体いくらの金でスロットに注ぎ込んでいるのか気になった。

金が気になったオレはタケシに問いかけてみると、タケシは鋭い目つきでぷいっとオレを無視して無言のままスロットマシンに熱中していた。

 

どうやらタケシも脱サラしたくて必死に打っているようだ。ダチは先月、ベガスのカジノにあるスロットマシンでわずか三千円で38億円当てた日本人がいたというテレビ番組を見たせいなのか、一発で億が出るスロットに必死に打ち続けていたのかもしれない。

 

 

俺はもちろん、スロットマシンは論外なので投資は遊び程度にしている。スロットの当選確率は宝くじなみで、投資資金に余裕がないオレは運任だけで勝てるはずがない。

実話だけどある女性がスロットマシンだけで1500万稼いていた。しかし、連敗が続いて最終的は1500万消えてしまったという・・・・。

 

タケシもある女性みたいにきっとこうなるんじゃねーの??と心配する。

 

 

一回だけカジノ内にパトロールしている警察管がタケシに「パスポート見せろ!!」と喚問された事があった。

 

あの時の

タケシは心臓が破裂するかのごとく高鳴って緊張が走り、手が震えるが、覚悟を決めて誕生日を偽造したパスポートのコピー紙を警察管に見せる。

 

ドキドキ・・・・・

 

パスポートのコピー紙を見た警察管は驚き、

 

「OH―――――!!!」

 

タケシはギョっとする。

 

現場にいたオレは「バレた?!」とドキっとする。

 

警察管は笑顔でペラペラと言ってタケシにパスポートのコピー紙を返して去っていった。

 

「?????何言ってるのがわからんけど、とにかく助かった・・・・。どうやら偽造パスポのコピー紙は通用したな。これで心おきなく思う余分プレーが出来るぜ!!」と安堵感を得たタケシ。

どうやら警察官はダチが未成年に見えたらしい。日本は例えダチが28歳前後くらい老けて見えても、アメリカだと子供に見えるらしいそうだ。

 

これで心おきなくスロットに集中し始めたタケシであった。

 

 

やがて部屋でテレビを観ていたら、タケシが帰ってきた。

 

 

「20万円負けてもーた!!」

 

 

はっ!?20万?わずか3日間で20万負けた??

 

さすがに呆れたオレ。現時点でダチの所持金はわずか6万・・・・。

 

 

       ギャンブル成績

 

  俺       ダチ
最初の所持金  24万      28
1日日     1万       ?
2日目     1         ?
3日目      未       −20

 

 

これでタケシはゲームオーバーかと思ったら、タケシはまだ諦めていなかった!!

 

 

タケシ「20万貸してくれー!!!」

 

オレ「はっ??マジ言ってんの??うーん・・・・わかった、貸してやるよ。。後で利子たっぷりつけてもらわんとな。もしスロットで10億当てたら4億は俺にくれよ!」とタケシの希望を託してアメリカのATMで20万下ろして貸してやった。

 

今思えば、タケシによくぞ20万円貸せたもんだ。

 

 

8月お盆連休後半

 

3日目から勝負スタート。

 

早速カジノを踏み入れてテーブルを探す。俺が勝負するのは勿論、ルーレット。。テーブルが空いている所に座るといきなりディーラーが「ヘイ!パスポート!」と喚問される。どうやら俺も未成年に見られてしまったらしい。。

200ドルを5ドルチップ40枚換金してもらい、勝負開始。

 

2年間研究してきたルーレット戦略に早くも成果が出る。わずか10分で1100ドル(日本円で換算すると約12万円)ゲットしたのだ。

 

日本のパチスロだとメダル5000枚(10万円)獲得するのに消化時間が最低30分かかるのに対し、カジノのルーレットはわずか5〜10分で1000ドル(11万円)獲得できるのだ。今までパチスロで一生懸命打って稼いだ自分が馬鹿らしくなってきた。

 

前半戦を終えたオレは、すぐ部屋に戻ってダチに勝利の報告をすると、タケシは「あ、そう・・・・。」と布団をかぶって寝てしまった。どうやら20万円損失した精神的ショックがまだ抜けないらしい。

 

 

仕方なく1人で気分転換しにラスベガスの街をぶらぶら歩いてホテルに帰ると、ダチはなんと、観光の時に記念として購入したルーレット基盤のおもちゃを使って熱心に研究していたのだ・・・。

さすが立ち直りが早いな・・・・。

するとダチは「よし、攻略法が見つかったぜ。今からカジノへ行こうぜ。20万を取り戻す為に!!」というわけでカジノに行って後半戦スタートした。

 

前半に続いて後半も順調に勝ちまくっていた。

 

気が付けばオレの周辺にギャラリーがたくさん集まっていて、ギャラリーが「good!!」「OH〜やるじゃねえか!!」「ガンバレ!!」などの励ましや褒め言葉をオレに送ってくれる。。何を言ってるのが分からないが、気持ちだけは何となくオレに応援されているのがわかる。

「へぇ〜、ギャラリーは見知らぬ人ばっかで赤の他人だけど、我と同じギャンブラーで想う気持ちは一緒なんだから国境は関係なく応援してくれてるんだなぁ。」となんだか感動してしまった。

 

一つだけ気が付いたけど、当ホテルカジノでプレイしている日本人はオレとタケシだけで、一般の人は1回の賭金平均510ドル(500円〜1000円)賭けているのに対し、オレだけ1回の賭金100200ドル(1万〜2万円)賭けていたので、かなり目立っていたようだ。 

 

 

まるでオレはカミカゼボーイみたいじゃんか・・・。

 

 

現時点ではー

3日目 4600ドル (+2200ドル勝ち)約53万円。


「おっしゃー!!今の調子なら1万ドル(117万円)はいける!!最終目標は100万ドルだーっ!!」と順風満帆に思えていた。

オレが勝ち続けることでディーラーは5人も代わっていた。

 

 

そして、6人目は日系人ディーラーが代わったことで雲行きが怪しくなる。


「赤36番ですー!!」
急に的が外れ始める。「あれっ?急に当たらなくなったぞ。おかしいなぁ・・・。」マイナスになった賭金を戻そうと落下確率の高いゾーンを一気に1000ドル賭けたが、外れてしまう

 

さらに負けた分を戻そうと倍賭けするが、またも外れてしまう。

 

「あり得ねー!!」と焦り、冷静を欠き、平常心を失ってしまった。


気が付けば、


残金は800ドル。(約9万円)

 

 

「う、ウソだろ・・・??あっという間に3800ドル消えてしまった・・・・日本円だと44万円だぞ・・・(1ドル117円に計算したもの)ど、どうしよー・・・・・」と手がブルブル震えて動揺が隠せない。まさかハッピーの絶頂から一瞬、奈落のどん底に転落。

「残りが800ドル・・・・無くなったらゲームオーバーだ。諦めて帰るべきか?続行か?どうしたらいい!??」頭を冷やして必死に考える。


数分後


「・・・・・よし、覚悟を決めた。もう迷わない。オレの一獲千金の夢を叶える為に、オレの人生を変える為に、渾身の全財産を賭けようじゃないか!!」

決心したオレはまもなく人生最大の山場を迎えた。

 

 

心臓が爆発しそうで鼓動が激しく高鳴る、もう喉がからから。

膚が粟立つ。

外音が遠ざかる。

緊張が最高潮に達した。

それでもオレは平静を装う。懼れると博打は負ける。ギャンブル人生の中で今までにない最高のスリルを今、ここで味わおうとしている。

 

「ふうっ・・・マジで心臓が破裂しそうだ。あの日系人ディーラーがオレを窮地に追い込むとはな・・・・。おかげで手の震えが止まらん・・・気が遠くなりそうだ・・・・こ、これが本物の博打か。今までにない最高のスリルを味わってくれるなんて神を感謝しているぜ。ここまできたらもう勝つしかない。自分を信じろ・・・・!!」と勝利を願うのみ。

 

長時間の緊張で青白く削がれた顔をさらに青くさせて、全財産をぶちこむ。

「ノー・モア・ベット」
ディーラーが宣言し、ルーレット盤を回して玉を投入ー。


「赤36番」
おっしゃー!!勝ったー!!まずは400ドル獲得。俺が賭けたゾーンの倍率は1.5倍だから損失した4000ドルを戻す為には全財産を賭けることが絶対条件であり、4連勝しなければならない。

 

無論、一発勝負。次の勝負も勝ちまくって3連勝し、800ドルから2700ドルに戻った。(約31万円)

「ハァハァ・・・心臓に悪い・・・もう疲れた・・・本当に1日長く感じる・・・ラストで終わりにしよう。ディーラーよ、オレは全力を尽くそう。泣いても笑ってもこれが最後の大勝負だー!!!」


渾身をこめて全財産をぶちこんだ。

すると

「オレもだぜ」
なんとタケシも渾身の2000ドル賭けに出た。
「お前の船に乗ったつもりで賭けたぜ。」

「タ、タケシ・・・・」
オレとダチ合わせて4700ドル(約54万円)の賭けにディーラーは驚きの表情を隠せない。ギャラリーはどよめく。

「ノー・モア・ベット」

ディーラーにとうとう宣言された。これでもう賭金の増減がきかない。後戻りはできないのだ。過去なんて戻れない。あとは神を祈るのみ。


そして、運命の一投。


ディーラーが投入した玉は高速回転する。やがてスピードが落ちて遠心力がなくなり、自由になった玉は気まぐれにあちこち転がる。そして軌道に乗り、向かっている先はーーーー

「黒35番」

黒35番はオレの大当たり。心の中で「オレの勝ちだー。」と勝利を確信。


ところが!


予想だにしない悲劇が起きてしまう。

玉が黒35番へ落下する寸前でピタっと止まってしまった。

「ええっー!??」
人生にかかった最後の大勝負の場面でこんな光景は見たことがない。ディーラーも驚いていた。これは・・・神のイタズラなのか!?玉は微動だにしない。

 

ディーラーは安堵の吐息で容赦なく唯一の望みである希望の玉を断ち切るかのようにとり、再び投入した。ダチとオレは悲鳴をあげる。

「ちょっとまってー!!賭金もやり直しじゃないのかよ??」

 

と抗議をしたが、ディーラーは聞く耳を持たない。指をくわえて玉の行方を見守るしかなかった・・・。

運命の瞬間・・・

玉が落ちたのは・・・

「赤7番」

ということは・・・・・・


ハズレ!!!!これで残金は・・・・


     ゼロ。

ゲームオーバーーーーー!!!

信じ難い光景・・・・

  最後の場面で・・・

     まさかのどんでん返し・・・

        まさかの大逆転負け・・・・・

                不可解・・・・・


ディーラーはニャっと笑って小さなガッツポーズ。勝利の女神はオレに微笑んでくれなかった。

「う、うそだろ?最後の場面でこんなのありかよ・・・こ、これで終わった・・・・。もう金がない・・・今までに見ていた一獲千金の夢が・・・・すべて水の泡に・・・・」と頭が真っ白になり、一獲千金の夢は見事に打ち砕かれ、砂のように崩れた。ディーラーに敗れたオレはこうして未来を塞ぎ、奈落の底へ落ちた。一瞬だけ、ディーラーは悪魔の微笑みに見えた。

 

 

数時間にも及ぶディーラー対決で予想以外のアクシデントで最終決着がつき、敗れたオレは頭がまっ白になり、魂が抜けたかのように放心状態になっていた。

 

ダチは懸命に孤軍奮闘するが、空しくも連敗で資金が底についてしまう。こうして一獲千金の夢は完全に絶たれた。

 

4日目


翌朝、気が付けば朝になっていた・・・・・
「もう朝か・・・早いもんだな。」敗れたショックと精神的疲労で心がボロボロになってしまったオレとタケシは一日中寝た。。


5日目

 

精神的ショックがまだ抜けず、放心状態のまま途方に暮れた。そして夜、今日ラスベガスにいるのが最後なので、最後の思い出として観光でもしよっかと思ったら、ダチはこんな時間でも(午後6時過ぎ)寝ているので、仕方なく一人でベガスの街でぶらぶらし、最高級ベラージオホテルの大噴水ショーを見物した。

「うわぁー水が踊っているみたいで綺麗だなぁ・・・・。」

 

大噴水ショーが終わると首を傾けて「ハァ・・・・・・・もう終わっちゃったんだね。あっという間だなぁ、これで一獲千金は失敗し、第二人生の計画が白紙になっちゃったなぁ・・・・。

 

今までの2年間、一獲千金を想い続けていたのは一体何なんだったろう・・・。

 

これからはどうしたらいいんだろう・・・。

 

生涯、平凡サラリーマンとして地道に生きていかねばならないのかなぁ・・・・。」と無力さを痛感し、悔しくてたまらなくて泣きそうになった。

 

5日目の夜

 

カジノも最後なのでダチに200ドル借りてブラックジャック勝負し、だったの110ドル勝ってカジノを後にした。

      ギャンブルの成績

        おれ         タケシ
1日目    −100ドル       ?
二日目    −100ドル       ?
三日目 前半 +2200ドル   −2000ドル
    後半 −4600ドル   −2400ドル
四日目     なし        なし
五日目    +110ドル    +50ドル

トータル   −2500ドル   −4450ドル

       (約−29万円)  (約―52万円)

 

 

最終日

 

ラスベガス一獲千金の夢は見事に絶たれ、全財産失って−20万円借金というおまけ付きで帰国・・・。

 


9月
オレの愛車バイクはまだ修理中・・・。

 


10月


オークションにハマリ、様々な物を出品するが結局は売れず・・・。

 


11月


25万?位のスキー板(2本)を購入したせいで貯金が空っぽに。これが貧乏生活の始まり・・・。

 

11月だったかは忘れたけど、パチスロでのミリオンゴッドの後継者―ゴールドX、まさかの撤去。

 

ゴールドX以外のスロット機種は興味がなく、スロットを打つ意味がなくなってしまったオレは、これを機にパチスロを引退する。

 


11月下旬


マサカが突然、「青木ヶ原樹海ってなんだろ?」とつぶやいたのがきっかけに早速、タケシとマサカとウチ3人で夜中に山梨県・青木ヶ原樹海へ行くことに。

 


現場に到着して「さて行くか」と思いきや、突然、遠くから野犬が猛ダッシュでウチらのとこに向かってくるのではないか。

 

「やばーいい!!!」

 

パニックになったオレは2人の安否を無視して車の中に逃げ込もうとしていた自分がいた。幸い、野犬はウチらのとこに襲ってくることはなくあっちの方へ去っていった。
あの件でパニックに陥り、他人よりも自分の命が大事だ!!と本性を露呈されてしまった自分が情けないと思った・・・・。


青木ヶ原樹海の散策路を外さないように歩きながら写真を取りまくってみたが、霊が出るような所はなかった。
翌朝、寒い中で富士急ハイランドへ。ステージの中でスケートリングがあったので小学4年以来の11年振りにスケートする。


なんだかわからないけど、昔、小さい頃にスケートした時、何故か母はウチに競技用のスケート靴しか買わなかったんだよね・・・。そのせいで素人のウチが競技用のスケート靴を扱えるはずが無く、転びまくる一方で終わってしまったという納得のいかない過去を思い出してしまった。

 

今回は一般用のスケート靴を履いて滑ってみたら、なんだ、普通に滑れるじゃん!!と思ったウチであった。
そんな中、いつの間にか知らないスケートのうまい中年おじさんにレッスンを受けさせられることに・・・。


12月 

 

事故ってから9ヶ月ぶりに愛車バイクが帰ってきた。(久々にエンジンの音を聞いて思わず感激してしまった。。)
給料やボーナス全部スキー費用に・・・・。

 

海外のネットでオンラインカジノ勝負する。前半は+73万円勝ち。

 

浮かれ過ぎたオレは調子に乗ってしまい、気がつけば稼いだ73万はあっさりと消えてしまった・・・。

 

競馬で大負けし、ラスベガスで全財産を失い、まさかのゴールドX撤去、最後にオンラインカジノで見事に完敗。

 

 

寮の部屋に戻ると仰向けにバタンと畳の上に倒れこみ、天井に見つめながら我が人生を振り返るオレ。

 

「今までのギャンブル人生は一体何なんだったのかな・・・・。 

 

今まで3年間、パチスロで朝から閉店まで一生懸命に打ったり、競馬GI開幕したら毎週競馬場に通ったり、ルーレット基盤まで購入してラスベガス研究したり・・・・。費やした時間はすべて無駄に終わっちゃったんだな・・・。

 

バイク大事故で死にかけたというのに、それでもギャンブルをやってるオレって・・・。

 

人生は一度しかないのに、それでも気にせずギャンブルに熱中して金を失って終わり、後は虚しさが残るだけ。こういうのを3年も繰り返してきたオレって、すげーバカみたいじゃんか。

 

本当に3年間、無駄な時間を過ごしてしまったんだなぁ・・・。そうだな、これ以上ギャンブルをやっても意味がないし、人生の無駄だから、もうやめよう。」

 

 

大金を失い過ぎだのを機に、ギャンブルを引退して3年間のギャンブル生活に終止符を打つ。

 

そして、

 

「これ以上は人生の無駄に過ごしたくないし、せっかく今生きているんだから、一度しかない人生に悔いのないよう、自分の趣味である日本と世界の旅に出よう」と強く決心する。

 

これが旅人としての人生の始まりである・・・。

 


2006
年1月

 

スキー費用がかかっているせいでお小遣いがわずか1万円しかなく、貧乏生活に苦しむ羽目に・・・・。


長野県最大規模のレース・八方尾根スーパーG大会に参戦するのも、自己最高記録更新の2戦連続途中棄権・・・。(第三戦で123番スタートしてごぼう抜きの35位に浮上したのがすごく気持ち良かったです。笑)

 


2月 

岩手県で開催された全国ろう大会でなぜが自己ワースト更新の途中棄権し放題・・・・ 


3月 

やっと貧乏生活の終止符を打つ。

北海道ニセコスキー合宿の帰りに飛行機に乗り遅れてしまった。仕方なく最終便の飛行機に乗るが、群馬県太田駅までは帰れず、やむを得ず高崎駅内で野宿。そのせいで翌朝、会社に遅刻・・・・。




記録
訪問した県 (あと27県)
千葉県、岩手県

1年振りにアルペンスキー復帰する
初めて日本最大規模のレース・八方尾根スーパーG大会に参戦
人生初の大事故に遭うのも、奇跡的に九死に一生を得る
人生初の手術を受ける。
中学以来、サッカー大会で6年振りに同級生や先輩のチームと対戦を果たす。
7月宝塚記念レースでタケシに40万借りて全力で40万賭けようとしたが、勇気がなくて単勝23万しか賭けられず。が、外した・・・。
人生初の海外・ラスベガスへギャンブル遠征する
ギャンブル聖地・ラスベガスで人生最高のスリル大勝負をするが、敗北して50万失う。
半年振りにバイクと再会。
11年振りにスケートする。
ゴールドX撤去、競馬大敗、オンラインカジノで大金を失ったことによりギャンブルを引退。

 

 

2005年度ギャンブル成績

 

勝ち 111万円

負け 286万円

トータル −175万円 

 

一ヶ月最高 オンラインカジノ 42万円

一ヶ月最高損失 オンラインカジノ 70万円

一日最高獲得 オンラインカジノ 62万円

一日最高損失 オンラインカジノ 73万円